うつ備忘録3 奇跡的に発見される。残りお米2合。
救急搬送まで2週間ほど。
前回の備忘録はこちら。
ututo-tomoni-ikiru.hatenablog.jp
7月に入った。
ヌメヌメとしたゼリー状のモノが皮膚にまとわり付くような不快感。
ジメジメとした7月の始まり。まだ梅雨は明けていないが日の高さが違う。
ボクは相変わらずだった。
本を読み時間を潰す。といっても、もう読む本もあまりない。
1日おきの食事も慣れてた。お米の残量が自分の命の灯火にも思える。
産まれてから今迄の人生の出来事を思い返していたように記憶している。
裕福な家ではなかったし、1人っ子といえども鍵っ子で、
いつも寂しい思いをしていた。両親に心配を掛けまいと良い子でいた。
全く手の掛からない子だったらしい。子供なりに演じていたのだろう。
他人のしぐさや周囲の空気から、どうすれば最善の自分でいられるか。
穏やかで良い子だったと思う。
でも思春期以降になって自分の家が廻りとかなり違うということが理解できた。
今でもそうだが、小学校時代の想い出とか本当に記憶が曖昧だ。
記憶にない事が多い。写真でも見れば思い出すかもしれないが、手元にはない。
所々の記憶はあるが、その時の感情までは鮮明に思い出すことが出来ない。
今思えば、一般的な日本の家庭というものからはかけ離れていた。
ボクは従兄弟の人数も知らない。名前ももちろん全部は知らない。
祖母に抱っこされた事もないし、お年玉をもらった事もない。
なぜか祖母は自分の長男、嫁、孫を嫌っていた。
家族・家庭というものが、本来どういうものであるか。
それを知ったのは、恋人や配偶者の家族を見てからだ。。。
家を出てからは、さらに両親との確執、疎遠状態が続いた。
結婚をしてからもそうだった。自分と距離を取りたがる両親。
それまでに付き合った人も配偶者も不思議がっていた。
「なんで連絡とかないの?」 ほんと全く付き合いのない親子だった。
当然うつ病にも全く理解はなかった。支えてくれた配偶者も呆れていた。
離婚するときも何の意見もなかった。
現在も連絡が取れない絶縁状態だ。
いけない、話を戻そう。
発見されるまでの2週間ほど。
本を読み、お米をどうにかして1日または2日おきに食べる。
ゴミの中から吸えるタバコを探す。
それぐらいしか覚えていない。 あとの記憶は曖昧だ。
記憶と妄想の中で、ふわふわとした浮遊感に身をまかせ、時が経っていった。
いつもの朝が来て、横になってボーっとしてたと思う。
玄関先で話し声が聞こえた。
それは突然やってきた。
ノックが聞こえる。
電気はとうに止められているので、インターホンは鳴らない。
苗字が呼ばれる。心臓がドキドキする。
ただ怖かったのを覚えている。
「○○さーーん」
しばらくして鍵を開ける音がした。
ゴォン!!!と大きな音が響いた。
ボクはロックを掛けていた。
「まずいな、これは・・・」他にもなにか言っていたような気がする。
数人の声が聞こえる。死んでると思われたかもしれない。
そのひとつひとつの言葉が、頭の先から入ってきて体全体を震わす。
それは本当の体の震えとなって表れた。
「すみませーん、開けてくださーい」更に大きな声。
フラフラしながら玄関先へ向かった。
「あぁ、よかった。開けてもらえますか?」
「はい」
久しぶりに人に向かって言葉を発した。何ヶ月ぶりだろう。
声になってなかったと思う。お腹から声が出ないのだ。
ロックを外すとそこには3人の男がいた。
スーツ姿の人が一人。 警官が二人。
質問攻めにあう。
どうしてたのか? 食事は? お金は? 水は? ガスは? 電気は?
知り合いは? 親は? ・・・・・・・
震えながら答えられるだけ答えた。 話してるうちに少しずつ慣れてきて、
声を掛けてもらっている事が嬉しくなって泣いた。
緊張が解けていく。全身の強張りが解けていくような感じもあった。。。
実家の電話番号を聞かれ、警官が電話した。
繋がらない。
現在使われてないらしい。
三人とも戸惑っていた。ボクのやせ衰えた風貌も衝撃だったと思う。
スーツ姿の人はマンションの管理会社の人だった。
「大丈夫です。生きてます。」電話口でそう話していた。
警官の二人にも色々言われた気がするがよく覚えてない。
市役所や福祉。そんな言葉が飛び交っていた。
その日は土曜日で病院には行けない。
とりあえず月曜の朝、病院に向かうことになった。
管理会社の人は、「ちょっと食べ物買ってくるから待っててくださいね。」
「鍵はロックしないでくださいね」
「すみません」ボクは何度も謝った。
数十分後、その人が帰ってきた。
「私の好みで選んできたから、口にあうかどうかわからないけど。。。」
「月曜の朝まで、これ食べてください。ちゃんと食べてくださいね。」
「すみません、申し訳ありません。」
玄関先でボクは何度も泣きながら土下座した。
「いいから、いいから。ほんと生きててよかった。月曜の朝来ますから
必ず出てくださいね。」
薄暗くなった部屋で、ボクは頂いたものを袋から出した。
情けなさもあったが、感謝の方が勝っていた。
心のどこかで、まだ生きたい。 そう思っていたのだろうか。。。
そして月曜日までの時間。 不安になったり怖くなったり落ち着かなかった。
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